今の学生さんは大変だろう。 かつてのようにモラトリアムな時間を過ごしているようには思えない。
期限が来て放り出される前に次の居場所を確保する心配が常に付き纏っているのではなかろうか。
主人公たち、三十路前の男ふたり。 一度は結婚し、今は独り身。
いわゆる普通の社会人も一回やって、スピンアウトして今の生活がある。
学生ではない目線で一旦は社会を見て、いろいろあってちょっとレールから外れている。
そのことに焦りは感じられない。 まだ十分若いし。 この国はそれでも何となく食っていける。
就職氷河期とか、リストラとか、構造不況とか・・・いろいろあってもまだ何とか暮らしていける。
もちろん自主的に何かを放棄しなければ(或いはすれば)、と云う前提で。
(C)2011「まほろ駅前多田便利軒」製作委員会
彼等だっていつまでも便利屋なんてやっていられる訳ではないし、一生の仕事とは思っていないだろう。
けれどそれが不要な存在な訳でもなくて、
きちんと組織だったものの成り立ちからこぼれてしまった社会の瑣末な物事を見つけて掬い上げる。
便利屋とはそんな仕事(行為)なのかなと思った。 便利屋の需要がある社会のルーズさはあった方がいい。
そこには社会人にはなったけれどまだ若い世代が持ち得る今の日本のモラトリアムが垣間見える。
便利屋なる存在が生き辛い世の中はつまらないと思うし、真の意味での余裕を失うようで面白くない。
便利屋の居る世界は、なかなかイイ感じである。
・・・ふたつ上のくだりで " 今の日本 " と書いて、3.11以降の今とそれ以前の今に違いがあるのかとふと考える。
この映画が作られたのはあれより前のことだ。 今はそう云う時期にあたるんだなと気づく。
あれはとても大きな出来事だったし、過去ではなく現在進行形だけれども、
少し時間が経過して今思うのは、あれを基点に物事を前後で分けるのではなく、
もう少し幅を持たせて " 今 " を捉える意識は持っていたいと云うこと。
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- 2011/04/30(土) 09:43:23|
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金明竹 / 三之助
宿屋の富 / 小三治
(仲入り)
小言念仏 / 小三治
「あたしたちはお客さんの反応で如何様にでも出来が変わるもんでしてね。」
「今日の小三治は良かったと思う時は、あたしじゃなくてお客さんの乗せ方が良かったってことですよ。」
十代目がそう云うと会場から笑い声や拍手があがった。
独特のとぼけた語り口のせいか、十代目の会では何が可笑しいのかと云うところで笑いがおきることがある。
十代目と同じ空間、同じ時間を共有するだけで楽しくて堪らないのかも知れない。
以前(恐らくは)ご本人の予期せぬところでの笑いと拍手で話の腰を折られて言葉に詰まったことがあった。
そして 「なんなんですかねぇ」 と、やや呆れ顔で小首をかしげたのだった。
あぁ、内心興醒めしているのかなと思った記憶がある。
出来不出来、上手下手は客の中にもあると云うメッセージ。 客は客で試されているのだろう。
十代目に見切られるのは悔しい。 だからと云ってそれに身構えて対峙することもないのだけれど。
楽しければ良いのだし、楽しみ方は人それぞれだ。
「宿屋の富」 のまくらは去年、亀有のホールで聴いた時と同じく馬喰町の由来から東京の古い地名の話へ。
十代目のご自宅、話の端緒を捉まえた感じでは我が家から徒歩20分圏内だろう。 確かご生家は柏木界隈だとか。
かつての淀橋の話などを聴いていると、親子ほど歳は離れているが自分なりに古い記憶から懐かしい風景が甦ってくる。
十代目の昔の東京についての思い出話は、まくらの中でも好きな話題のひとつだ。
- 2011/04/28(木) 13:03:53|
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狸札 / おじさん
寝床 / 白酒
(仲入り)
ライブ / 上野茂都井戸の茶碗 / 白酒
白酒を見ると仙台太郎のあの写真を思い出す。 柔和な表情と丸い輪郭に愛嬌がある。
しかしニコニコしながらサラリと毒を吐く。 そこが堪らない。
白酒は何をやっても面白い。
「寝床」 は少々くどい遣り取りがあって聴いていてダレることもあるのだが、白酒はそれがなかった。
そして少しだけ“今”が入る。
長屋の住人に電気屋が加わったり、“確認中” だとか “直ちに健康に害はない” だとか・・・
そう云う毒の散りばめが絶妙で、漫然と聴いていられないスピード感が心地好いのだった。
「井戸の茶碗」 はあまりくすぐりが入らなかったが、今まで聴いたものと多少筋が変えてあった。
やはりくどさがなく、時間を感じさせない運びが好ましかった。
この噺はニコ動で拾った喬太郎のものがオリジナリティにあふれており、あれを実演で聴いてみたいものだ。
白酒はお開きに高座で座布団を外して頭を下げて礼を表す。
これはやる人とやならい人がいるが、白酒は師匠の雲助に倣っているのだろう。
恐らく雲助一門の礼儀作法なのだろう。 嫌味に謙った感じはなく、あの所作は見ていて感じの好いものだ。
- 2011/04/27(水) 12:57:22|
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'69年ジョン・ウェイン主演 『勇気ある追跡』 の再映画化。 監督のコーエン兄弟はリメイクとは考えていないとか。
確かに古き好き西部劇とは少々雰囲気を異にする作風ではあった。
(C) 2010 PARAMOUNT PICTURES. All Rights Reserved.
父親を殺された14歳の少女の復讐劇。 時代劇風に云えば仇討ちものだ。 しかし彼女の本意は仇を正式な法廷で裁くこと。
とても利発で大人顔負けの口舌。 意志の強さが顔つきにも出ている。 しかし可愛い気がないわけでもない。
荒ぶるガンマンたちの中にあってその姿はとても純粋に映る。
もっと云えば、どうもガンマンたちが雑なのである。 いや雑に見えるように描かれているのである。
似たようなシチュエーションでありながら比較の中でいつも思う西部劇と時代劇の差は、
フロンティアに生きるガンマンと秩序仕来たりに生きる侍の持つ矜持の差や死生観の違いなのではと云うこと。
しかし今回はそう云うフロンティアガンマンの粗野な部分と少女の繊細さ、
そしてその少女に緩やかに感化されてゆくガンマンの心の絢が綯い交ぜになった、
ちょっと不思議な世界が心構えとは違う印象を残して終幕に至った作品だった。
評すれば傑作でも秀作でもないが、そこにはドラマがあったし、人間が生き生きしていた。
破天荒なヒロイック(ヒロイニック)でもなければ早撃ちの凄腕ヒーローも出て来ないが、
最低限の秩序の中で荒ぶる普通の人々があの時代あそこには居たのだなと思わせる作品であった。
少女役のヘイリー・スタインフェルド、なかなかの好演。
三つ編みのお下げ髪がかつての日曜夜7時半、日本アニメーションの名作アニメのキャラっぽい。
更に云うと少女時代の蒼井優ちゃんを想わせ、そう思うともうそうしか見えないのだった。
- 2011/04/24(日) 15:24:34|
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七段目 / 市楽
看板のピン / 三三
押しくら / 三三
(仲入り)
文違い / 三三
落語ネタがつづきますが・・・
久々に連夜の落語会。ベテランの雲助につづき若手の三三。
まくらは震災にまつわる話。
先日の赤羽の会に比べて気持ちも落ち着いているように感じた。
震災後の道筋が見えて来たのかも知れない。
「看板のピン」、短い噺だが軽妙な語りを堪能。 噺の長短は満足度に比例しない。
「押しくら」 は江戸っ子の三人旅。「宿屋の仇討ち」 と同様、お調子者の遣り取りが面白い。
旅はひとりが好きだが、“気の利いた連れ” が居るのも悪くないか。
実際に野郎の友人と三人旅をするとなると、それは少々億劫に思う。 そう云うのは若い遊びだな。
年々、人の集まりが煩わしくなって行く。 とは云え社会人ではありたいものだ。
「文違い」。三三は少し薹が立ったくらいの女が填まるなと改めて思う。
廓の中のこと、現代なら十分若い年頃だろうが、噺の中ではかなりオバサンが入っている。
ちょっとしゃがれた三三の声が女の年季を感じさせるのだろう。
噺を聴きながらふと脈絡もなく、いま実写で 「ルパンⅢ世」 をやるなら三三がいいな、などと閃いたのだった。
痩身長躯、絶対似合うと思うぜ。 あぁコスプレが見てみたい。 もちろん、緑で。
- 2011/04/20(水) 12:18:04|
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ん廻し / ぽっぽ
タラチネ / 天どん
あくび指南 / 雲助
(仲入り)
おせつ徳三郎 / 雲助
ぽっぽは二度目。 もう少しゆっくり話せば良いものを。 しばしば噛む。 でもカワイイ。
天どんは初。「たらちね」 のオリジナルVer.で 「タラチネ」。 嫁が金髪のハーフ、なかなか面白かった。
「あくび指南」 は小三治、「おせつ徳三郎」 は十代目馬生、或いは上段部分を 「花見小僧」 とした五代目小さんで聴き馴染み。
どうも繰り返し聴いているものが自分のオリジナルになってしまうのは良くない。
雲助はベテランの安定感で聴き易いが、品があってクセがないだけに聴いた後の印象の抜けも早い気がする。
そう云えば雲助は馬生の弟子であった。
この会は毎回根多出しなので演目は分かっているのだが、
間抜けを白状すると 「おせつ徳三郎」 が始まるまでずっと 「お若伊之助」 と勘違いをしていた。
どちらも桜の時季の噺だが中身が全然違うだけに心うちでひとりずっこけてしまったのだった。 情けなや。
- 2011/04/19(火) 13:47:15|
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お菊の皿 / 〆治
金明竹 / 小三治
(仲入り)
付き馬 / 小三治
久々に立川の鏡花で塩ラーメンを食した満腹も手伝って、席につくと次第に瞼が重くなってきた。
このところの忙しさで少々疲れが溜まっているようだ。
思い起こせば最後にまる一日休んだのは二月の最後の土曜である。
小三治を聴きながらウトウトするとは何とも贅沢な時間である。
御馴染みの長い長いまくらは携帯メールから怪しいスパムメール、
如何わしいサイトなどについて話していたようだが、ちょっと記憶が断片的だ。
『金明竹』 は開口一番で聴くことが多いが、やはり名人がやるとその味わいは段違いであった。
ともすれば噺家の早口自慢になってしまう噺も、十代目にかかるとその面白味が登場人物の遣り取りにあることが良く分かる。
『付き馬』 のまくらは噺に因んで座棺の話。
後席の夫婦連れのご主人が 『らくだ』 かなと呟いたが、僕は 『付き馬』 だろうと思い予想どおりでちょっと鼻の穴が膨らんだ。
廓の若い衆と棺屋の親父の遣り取りが良かった。 十代目は職人の大将が良く似合う。
- 2011/04/17(日) 14:32:41|
- 演芸など
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中間期用のフリースが欲しくてお勧めを訊ねると ホグの TWICE JACKET が挙がり、神宮前のストアへ足を運ぶ。
TWICE は昨年からの秋冬物、別に今年の春夏物で ISO JAKET なるフリースが出ていた。
着比べて ISO をチョイス、やはり薄手で軽快な方がこれからの季節に使い勝手が良い。
色はベージュ系をと思っていたので、ラインナップで比較的傾向が似ているカレーにした。
マスタードと呼ぶには黄色が強い、まさにカレー粉のような色。
着心地はややタイト、長袖のシャツなら薄手まで。羽織ってから少し撫で回して馴染ませないと腕の動きに若干抵抗が残る。
ベースが半袖の時なら快適度は更に増すだろう。 これなら夏でも使えそう、実質3シーズンものと云えよう。
夏と云えば今年は電力の需給バランスが懸念されている。
輪番停電が取り沙汰されているくらいだから、苦手な電車や店舗での強烈な冷房への気遣いは不要だろう。
そもそも毎年の酷暑の原因には空調室外機からの排熱も多きを由っていると常々思っている。
都市全体で空調を弱めれば外気温も少しばかりは下がるのではないかと、結果が興味深い。
その時になればそんな暢気な話ではないかも知れないが・・・さてどんな夏になるのやら。
生来、暑さには強い方だが今から大口を叩いておいてへたばったりしたら見っともないな。
空調とは略語、正式には空気調和(調節)。
調和とは整い和らぐ、または良く釣り合うこと。 時節柄、意味深長な言葉ではないか。
- 2011/04/13(水) 12:17:52|
- 道具のたぐい
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湯屋番 / 菊六
蜘蛛駕籠 / 喜多八
鈴ふり ~ 仏の遊び / 喜多八
(仲入り)
太神楽 / 仙花笠碁 / 喜多八
先日の花緑・三三、若手二人の会に続き昨晩は喜多八殿下。
先のお二人は年下だったが殿下は先輩である。
震災以後、年上の人の話を聴きたいなと思う時がしばしばある。
こんな世風にあって、のらりくらりとした殿下の立ち居振る舞いはフッと気分をリラックスさせてくれた。
人生に先輩は必要だ。
「蜘蛛駕籠」を実演で聴くのは初めてであった。
相変わらず酔っ払い方が実に良い。寄れば熟柿臭いのではと思うほどだ。
殿下の「笠碁」は所々端折ってあるが、これはこれで好きだ。
しかし「笠碁」と云えば僕の中では十代目馬生なのである。
20時40分頃か、またしても地震があった。
あろうことか仙花が五階茶碗をやっている最中であった。
絶対絶命のピンチを仙花は良く切り抜け、場内拍手喝采。
それでなくても仙花の芸は心許なくフラフラしているので、緊張感たっぷりであった。
そもそも太神楽は見ていてドキドキするのであまり好きでない。
増してや今回は席が最前列だったから尚更であった。
- 2011/04/12(火) 17:26:27|
- 演芸など
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二人旅 / まめ緑
大工調べ(通し) / 三三
(仲入り)
二階ぞめき / 花緑
震災後の公演中止や仕事でのキャンセルもあり、ひと月ぶりの落語であった。
「大工調べ」 は三三の師匠・小三治と文左衛門の実演で一回ずつ、
また小三治のCDでは幾度となく聴いているが、いずれも長屋のくだりで噺を下げるもの。
今回は奉行所のくだりまでやる通しであった。 通しは志ん朝の音源で聴き馴染みがある。
生で聴く通しは充実の聴き応え、棟梁が大家に啖呵を切ったところで場内から大きな拍手。
十年後、二十年後と三三の 「大工調べ」 が楽しみだ。
花緑の不思議な貫禄は健在。 ご本人も言っていたが、この人にはつくづく若旦那の余裕がある。
時節柄のまくらではあったが、そこに可笑し味を見つけて場を和ませる。
どんな状況にあってもそこにある小さな可笑しさが目についてしまうと。
それは不謹慎とか不真面目とか云う、悪いことではない。
生きていくと云うことは通り一遍悲しかったり楽しかったりするものではなく、
喜怒哀楽が大小幾重にも折り重なって同時進行して行くものだ。
悲しみが勝つ時もあれば喜びが勝つ時もある。 悲喜こもごもだ。
三三もまくらで震災とそれにまつわる諸事について触れた。
個人的な意見も言われたがそれは会場内に留めておこう。僕には共感出来る話だった。
催行に関してはいまだに賛否が分かれているようだが、ではいつまで、と云うことになる。
僕は月明けが良い区切りだったと思っているのだが、広い意味ではひと月区切りで今月11日だろうか。
それが三ヶ月、半年、一年と、考え方はいろいろあるだろう。
その判断に正解はない、あるのはそれぞれの納得具合だ。
どうにか笑える気分になって来た。 今回はとても楽しめた。
世風は「がんばろう日本」のようだが、別に頑張ることはない、普段どおり。
ただ少し気にかけておくことが増え、忘れていたことを思い出したのは確か。
それを長く持続することが大切。 と、思うけどね。
- 2011/04/10(日) 07:57:53|
- 演芸など
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ブログを非公開から公開にするまで正常に設定出来ているかどうか分からないものもある。
今回はアクセス解析とカウンターの設定がそうだった。
3日(日)の公開からどちらもウンともスンとも反応しない・・・
要するにご訪問者が一人としていないだけだろうと思っていたのだが、
今日になって設定手順の途中までしかやっていないことに漸く気づいた。
そんな訳でブログ公開当初から今日までのアクセス管理が出来ていなかったようだ。
これで もはやご訪問者総数の正確な把握に失敗していることになるし、
アクセス解析の統計も公開後 約6日間分のデータが欠落することとなってしまった。
こうしたデータ蒐集が好きなだけに このつまずきはちょっと惜しいことをした。
少々残念ではあるが、以上ふたつのデータについては今日がスタートライン。
そういう数値やデータについて、あまり拘らずにやれということなのかも知れない。
いやいや、自分でミスしておいて啓示があったような言い草は良くないか。
- 2011/04/08(金) 23:09:31|
- 序
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取り敢えずは手はじめにと思い、今年に入ってから観た映画についての記事をUPしたのだけれど、
なんとなくしっくり来ないので一旦削除します。
初めてUPする記事がブログを再開するより以前の話から始まるのも垢じみて、新鮮味に欠けるし。
それにいきなり巡航速度に入ってしまったようで、もうちょっと出だしは厳かでありたい。
ベタ凪の海原へ滑り出す舟のようでありたい。
と、思ったのであります。
- 2011/04/06(水) 00:29:49|
- 序
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満月、十六夜に非公開で開設して二週間かけてカスタム・テスト・準備。
今宵、朔月の瞬間、23時32分より 『七人の敵』 をはじめます。
23日前、この国は大きく変わってしまったけれど、
僕は五感で受け止めたこの世界についての徒然を、再び書き綴ってゆこうと思います。
今一度、この世界と向き合い、諷詠の日々を送ってゆこうと思います。
ここでは「七敵」と名乗ることにしました。「しちてき」と呼んでください。
この素晴らしき世界にも、男には七人の敵が居ることの戒めとして。
以後、よろしくお見知りおきの程。
『 七人の敵 』 持主、 七敵 拝
- 2011/04/03(日) 23:32:03|
- 序
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