七人の敵

男、閾を跨げば七人の敵と数多なる素晴らしきものごとあり。 都会から山河海島まで、外出先でのよしなしごとを。

『 圓太郎商店 独演その十三 』 圓太郎独演会 於 池袋演芸場 / 平成二四年六月ニ七日

(※ 29日朝、少々訂正・追記しました。)

狸の札 / まめ緑
紀州 / 圓太郎
欠伸指南 / 圓太郎

(仲入り)

大山詣り / 圓太郎


そう云えば池袋の駅蕎麦に “ あおさとしらす蕎麦 ” と云う何とも魅力的なポスターが貼ってあったな。
山手線で向かいながらそんなことを思い出した。 先日、武蔵浦和へ行く際に乗り換えの途中で見たのだ。
今日はあれにしようと思いつつ、落語前の腹具合はまだそこまでではなかったので帰りに寄ることにして改札を出た。

木戸口で名前を告げ予約割引で券を貰って地下へ。
30分ほど前に着いたが通路際の席は埋まっており、足元を広く確保出来るのは最後列の折畳み椅子くらいだった。
小さな函なので最後列でも構わない。 前回は空いていた最前列に座って首がそっくり返ったので後ろを選んだ。

今まで二席だった高座を今回三席に増やした。 お客のリクエストらしい。 物足りないと。
それが褒め言葉かどうかは置いておいて、やはり多く聴かれるのは嬉しいことだ。
演目もリクエストがあったらしく、「 紀州 」「 大山詣り 」 と二席も根多おろしだと栞に書いてある。

圓太郎の持ち根多がどの位あるのかは分からないが、こう云う挑戦が胸をすく。
稽古百遍、高座百遍と言うのだそうだ。 それ位の修練をして初めて自分のものになると。
その記念すべき高座一遍目に臨場するのは客としても心躍る。

「 紀州 」 自体、初めて聴く噺。 なかなか大変な噺だ。
延々と徳川の系譜を語り続ける、サゲまでは遠い道のり。
実際どこまでがまくらでどこからが噺の本題なのかが浅学の身にはよく分からない始末。
それでもサゲは誰にでも分かる“キシュー”なのであった。

続けて二席目、「 欠伸指南 」。 初めて聴く件があって、風呂に入って欠伸をするところ。
炬燵に猫と居る冬の欠伸に替わって入っていたのだが、うっかりどの季節の欠伸だったのか聞き逃した。
“山に雪が・・・”と言っていたので冬かも知れないが、“山に雪が残っている・・・”と言った気もする。
残雪なら春の欠伸だろう・・・上方では「風呂に入って月をながめるときの欠伸」があるとネットで読んだ。
他にもいろいろとあるらしい。通り一遍でないところが面白味だろう。 誰がどう演るか、そこを待つ楽しみが増えた。

「大山詣り」も根多おろし。 大山と言えば豆腐、わたしも好物ですと。 豆腐は美味いね。
昨日歯を抜いたばかりなので飲んで帰るつもりはないが、もし寄り道するなら冷奴だなと思ってみたり。
こちらもなかなかの熱演。 圓太郎は一途な感じがいい。 落語好きだなと肌で感じる。
師を聴くと、どうしたものかいちいち感想を書く気が失てくる。 (それでもこうして書いている訳だが)
落語はそれでいい気がして来るのだ。 聴いておしまい、くどくど語らず あと腐れなし。 潔き高座。

で、追い出しで駅蕎麦へいそいそと向かう。 頭の中は “ あおさとしらす蕎麦 ” でいっぱい。
けれど店の券売機のそれには「×」の表示が・・・売り切れですよ。 あぁ往きに食っときゃ良かったよ。
金曜は西日暮里(会場は谷中界隈)だから、往きに途中下車して本懐を遂げようかどうしようか。


さて、その金曜の西日暮里(谷中)だが色々と事情があったようで、文左衛門・兼好の二人会が圓太郎・兼好になった。
これはハプニングではあるのだが、個人的贔屓目で行くとちょっと会の楽しみが上がった格好だ。
本来ならあってはならない交代劇だったようだが、会が始まればそれはそれ。
圓太郎立て続け、どんな芝居になるか楽しみに待ちたい。

 
 
  1. 2012/06/28(木) 18:48:00|
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『 第11回 産経新聞 平成特選寄席 』 於 赤坂区民センター 区民ホール / 平成二四年六月二六日

幇間の腹 / 志獅丸
浮世床 / 菊六
臆病源兵衛 / 白酒

仲入り

転宅 / 菊之丞
井戸の茶碗 / 志らく

朝イチの歯科医で下顎左第一大臼歯を抜く。
随分と昔に神経を抜いて長い間 金属を被せてあった歯なのだが、
知らぬ間に縦に割れて根っこ周りに菌が入り歯茎や顎の骨にまで悪さをしていたようだ。
数年前に歯科医を替えたのだが、そこではこの歯を何故かいじりたがらない。
そこで子供の頃から世話になっていたところへ出戻って相談したところ抜歯と相成った。
歯科医によってはなるべく抜かない方針もあろうが、少々忍耐も過ぎて口が臭うようになっていたので抜いて貰った。
親知らず以外の永久歯を抜くのはジジィの仲間入りのようで落ち込むが、歯の大切さを顧みる良い機会ではあった。

心配したほど痛みも出ず、欠席も考えていた会へ足を運んだ。 落語立川流で古今亭を挟んだ格好の番組。
志獅丸はふたつ目になった らく太のことで、チケットリリース時はまだ らく太で刷ってある。なりたてホヤホヤ。
片や菊六は真打ち間近、文菊になる日も近い。 時は流れているのだ。

日曜に聴いたばかりの白酒。
いつもは師を間を空けず聴くと結構もたれるが、今回は初めて聴く噺だったのでそれもなく。
師匠・雲助以下一門で演る噺のようだ。 目をキョロキョロと泳がせながらもグビグビ酒をやる源兵衛がなかなかいい。
サゲは “地獄に仏だ”。ここで云う地獄とは上野は池之端仲町の俗称で所謂非公認な引き込みの遊所があったらしい。
この地獄なる符牒は頭の隅に記憶していたが、どこで仕入れた薀蓄だったかは忘れてしまった。
よく落語を聴きながらメモを取っているお客を見るが、あれをやるとイチイチこうした知識が増えて行くのだろう。
まぁそこまではせずとも、自分は自然と頭に入って残った知識で楽しめればと思う。

鈴本余一会以来の菊之丞。 師はこの 「 転宅 」 に出てくるお菊や 「 お見立て 」 の喜瀬川のような女が似合う。
色気があって頭の回転も速いがちょっとスレた感じ、昭和のスナックにいるアケミちゃんタイプ。
(但しお菊は泥棒が帰った後に向かいの煙草屋に駆け込むほどその実は怖かったあたりに人物描写のひだが必要か)
主観だが、同じ女でも長屋のおかみさん、或いは花魁でも高尾太夫となるとちょっと師のイメージではない。
師はどちらかと云えば世知辛い世の中を強(したた)かに生き抜く感覚を持った女が合っているのかなと、
そう思うようになってきた今日この頃なのであるが、勿論 ご本人がどうなのかは別の話(ご本人は男か)。

久々の志らく。 相変わらず立川流は聴く機会が少ない。
師の持ち味と云おうか、あのアワアワした感じは好みが分かれるか。
落語に出てくる侍・町人・坊主、当然 みな役者ではない。(花魁はある意味役者かも)
誰もが立て板に水の如く喋るわけではないのだから、つっかえたりドモったり噛んだりするのはある意味リアルだ。
そんな間合いと云おうか波と云おうか、志らく落語にはあるように思うのだがそれが好きかと云えばそれほどでもない。
今回それに気づいてしまったとでも云おうか、自分はどうも志らくの波に乗るのが下手なようだ。 

さてお開き。 抜歯当日なので酒は自重。
落語前に冷したぬきそば温玉入りだったので、帰りはさっぱり醤油ラーメンで〆た。


※ 今まで落語に関して「遣(や)る」と表現していたが 今回から志ん輔師のブログに倣って「演(や)る」に変更
 
 
  1. 2012/06/27(水) 12:29:35|
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白酒・三三 二人会 於 IMAホール / 平成二四年六月二四日

桃太郎 / つる子
禁酒番屋 / 白酒
質屋庫 / 三三

仲入り

五目講釈 / 三三
お見立て / 白酒


今月はマイカーの車検期限であった。
ディーラーは大江戸線沿線、車で乗りつけ手続きを済ませると、そのまま地下鉄に乗って光が丘へ向かった。
以前この会場で休日の昼過ぎに落語会があった時、昼食を建物内で済まそうと行ったところどこも大変な込みよう、
食いっぱぐれたことがあったので今回は昼食を地元で済ませてからの会場入りとした。

席は後ろよりだが通路際で狭苦しさはなかった。
前座が下がって白酒登場。
まくらは前座のつる子の師匠・正蔵についてと時事ネタで某野球監督についてなど。
正蔵と三平は若旦那の引き合いで良く名前が出る。
色々と揶揄されて客が笑う。 どこまで本音かは分からないが高座に悪気はなかろう。
ただイメージがそうしたところから定着している部分がある。
実際は正蔵を聴いたことがない。
聴かずして師を笑うのはちょっとアンフェアな気が以前からしていたのだが、
今回その思いがちょっと強かった。 やはり一度、師を寄席で聴いてみなくては。
そんなことを思いつつ 「 禁酒番屋 」。
昼間聴くと感じが出ないなと思ったが、この噺は昼間に届ける酒を番屋で止められるものだ。
昼間聴いて違和感を持つことはないのだなと思い至る。 しかしやはり夜がシックリ来るのは確かだ。

三三の 「 質屋庫 」 で舟を漕ぐ。 どうにも眠い。 このところの気疲れと腹のこなれ具合からだろう。
あまり睡魔に抵抗せずに遠くに三三の声を聞いて仲入り。

「 五目講釈 」。 三三は講談も好きだと言っていた記憶がある。 稽古もつけて貰っていた筈だ。
素人耳にはなかなか板についている。 初めて聴く噺だったし、短いながら今回はこちらが三三の収穫だった。

「 お見立て 」 を聴く度、喜瀬川花魁の頭の回転の速さに感心してしまう。
噺の中のおんなに感心もあったものではないが、
あれこれと逃げ口上を思いつく小賢しさが却って彼女の魅力を増しているように思えるのだ。
杢兵衛大尽は本当にコロリと騙される訳だが、例えばウソを承知で騙されるのもそれはそれで面白い訳で。
“ 分かっていながら喜んで騙されてやる ” 的なバカな客もいたりするから世の中回って行く訳で・・・
自分もバカを承知で散財する快感については、多少分からんでもない歳にはなっているので面白可笑しく思えるのだろう。
それはそれで大人な楽しみかも知れないなと思いつつ。

全般に気が入らなかった会であったが、まぁこんな時もある。 気合が入れば良いものでもないのだし。
 
 
  1. 2012/06/25(月) 19:09:42|
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星の旅人たち - The Way - 於 ヒューマントラストシネマ有楽町 シアター1

聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の旅を扱った作品は、五年前に「サン・ジャックへの道」を観た。
あれは遺産相続の条件として巡礼の旅を命ぜられた仲の悪い兄弟三人が主人公の話だった。

本作は大学をドロップアウトして世界中を旅していたひとり息子の客死を受けて、
我が子が成し得なかった巡礼の旅を成り代わって歩くカリフォルニアの眼科医の話。
父トムをマーティン・シーン、子ダニエルを実子のエミリオ・エステヴェスが演じるエミリオの監督作品。

息子ダニエルは巡礼の旅の初日に、出発して間もなく嵐のピレネー山脈で命を落してしまう。
妻に先立たれてから疎遠だったひとり息子の突然の死。
亡骸のもとに向かった父トムは担当の警部から巡礼の旅の意味を聞き、やがてそれを行動に移すことを決心する。
遺灰と共に旅立つトム。 途中その遺灰を少しずつ撒きながらの旅路が始まる。
慣れないバックパックツアーは見ていて心許ない。 おじさん大丈夫か?と心配してしまう。

孤独に旅立ったトムも出会いを重ね、やがて三人の同行者が出来る。
それぞれの事情と動機を持った大人四人の旅が続く。
巡礼の道は美しく、人も町も荒野も森も魅力的だ。
巡礼と云う言葉からイメージするストイックさはなく、一日歩き終えれば宿でワインと食事を囲んで楽しく語らう。

トムは亡き息子を思い、時に幻影を見ながら旅を続ける。
路傍の木立に、宿での食事の席にフッと姿を見せるダニエル。 まるで共に旅をしているかのようだ。
そう、この風景は本来なら自分ではなく、息子が見る筈だったもの・・・トムに笑顔はない。
ひとり息子を突然亡くした父親の悲嘆は想像を超えて切ないものがある。
それでも距離と時間と同行の仲間がその悲しみを少しずつ埋めて行く。
楽しい旅ではない。 しかし不思議と悲壮感もない。


the way
Copyright 2010 The Way Productions, LLC All Rights Reserved.


これと云って突出したものはないが、旅の物語として正統派のつくりになっていて好ましい。
巡礼路の雰囲気は十分に伝わり、観る者を銀幕の中の旅へ誘(いざな)ってくれる。
時折若くして逝った青年のことを思い胸が痛むが、
それでも残されし者には喜怒哀楽があって世界は広く陽はまた昇るのだ。
聖地へ向けて800㎞を歩く、ひたすら歩く。 けれどその繰り返しは日常のルーティーンと異なり単調ではない。
その単純明快な目的と行動が旅の間の生き方を純化し、自らを見つめる時間となるのだろう。
そのテーマと物語のシンプルさが魅力的で、観る者に快さを残すのだ。

序盤、遺品のバックパックの中身を広げてトムがひとり泣くシーンがある。
もし自分が山や海から帰らなかったらと想像する。
黒くて傷だらけのコッヘル、皺くちゃの渓流の地図、或いは色褪せた潜水機材・・・
旅は素敵で魅力的だ。 しかし帰って来てこその旅だ。
上質なロードムービーの世界に浸りながらも、頭の隅で我が事に置き換えてそんなことも考えていた。

旅好きにお勧め。 いい映画です。


  1. 2012/06/22(金) 12:27:43|
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さあ帰ろう、ペダルをこいで - Svetat e golyam i spasenie debne otvsyakade - 於 シネマート新宿 スクリーン2

 ( ※ 作品の結末に係る表記があります )

物語は過去 (1983年まで) と現在 (2007年) を柱に描かれている。
過去では共産政権下で息苦しくも楽しかった一家団欒から、亡命を経て辛い思いをした難民収容所時代を描き、
現在では記憶を失った青年と彼の祖父との25年ぶりの再会と交流の旅を描く。

25年前にドイツへ亡命した娘夫婦とその一人息子(孫)が政変後のブルガリアへの帰国途中に交通事故に遭う。
娘夫婦は亡くなり、孫は記憶喪失となり入院の身であるとの報せが男(祖父)のもとに届く。

7歳で別れた孫は青年となったが、失われた記憶に再会の喜びはない。
祖父は共産政権下では民兵に目を付けられるほど毅然とした生き方をして来た。
町一番のバックギャモンの名手であり、そこに人生をも準えて語る。
「勝利は時の運だがダイスを振るのは自分の才覚である」 と。

病室で心を閉ざす青年のもとを辛抱強く訪ねる祖父。
昔話をしたり、子供の頃そうしたようにバックギャモンをやったり、少しずつ青年の心の扉を開いて行く。
調べて行くと孫の生活は友人も恋人もなく孤独であった。
祖父は思う、この子には記憶の再生とアイデンティティの獲得が必要だと。

旅に出て世界を見ること。 祖父は孫を病院から出し、ブルガリアへの帰還の旅にいざなう。
手段は飛行機でも鉄道でもなく、タンデムの自転車だ。
広大な風景の中に身を置き、人々との出会いを通してやがて青年の瞳に光が宿りはじめる。
きつい峠道を越え、満天の星空の下で眠り、偶然出遭った旅の女性と互いに惹かれ合う。

そして訪れたのは亡命直後に収容されたイタリアの難民収容所。
子供の頃可愛がってくれた難民仲間の男は閉鎖された施設の門番としてまだそこに居た。
懐かしい顔、辛くて希望の見えなかった日々、思いがけず見つけた少年時代のミニカーの隠し場所・・・
様々な記憶の断片が繋がり、遂に青年は記憶を取り戻す。
それを見届けた祖父は先にブルガリアへ帰り、
青年はひとり自転車での帰還の旅を続け自らのアイデンティティの獲得に至る。


240619
(C) RFF INTERNATIONAL, PALLAS FILM, INFORG STUDIO, VERTIGO
/ EMOTIONFILM and DAKAR, 2008 All rights Reserved


もっとのんびりしたロードムービーを期待して観に行ったが、
まだ冷戦の時代を背景に離れ離れになった一家の邂逅をテーマに、重みも感じる内容であった。
祖父からすれば25年ぶりに会える筈だった娘との再会は叶わず、
孫の成長の時間も決して幸せに満ちたものではなかったことへの悔恨と悲嘆は想像に難くない。
しかし祖父は強い男であり、頼りな気な孫を一人前の男にすることで人生の肯定を見出そうと試みる。
その手段として自らの人生の傍らにいつもあったバックギャモンであり、共にこぐタンデム自転車なのだ。

もう少し旅気分を満喫したかったが、観てからの時間が経つにつれ様々なシーンが思い出される。
それは自転車で走り過ぎた美しい情景のシーンではなく、
旧体制下のブルガリアの食堂であったり、イタリアの難民収容所の小さな庭であったり。
距離を移動する旅のシーンより青年の過ごした時間の旅、記憶の断片の方が印象に残っている。
このロードムービーに織り込まれていたのは距離でなく時間の方だったのだなと、今になって思うのである。
 
 
  1. 2012/06/19(火) 13:33:12|
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メン・イン・ブラック3 - MEN IN BLACK III - 於 ユナイテッドシネマとしまえん スクリーン8(IMAX)

このシリーズを劇場で観るのは初めて。
1と2がどんな話だったかはよく憶えていないし、1と2を別々に説明も出来ない。
過去にTV放映で観た憶えはあるが、1と2の両方を観ているのかも定かでない。
設定は一般人の知らないところで宇宙人を監視している組織があって、
そこのエージェント二人のお話、ぐらいの大雑把な知識だけで足を運んだ。
結論から言えばその程度の予備知識だけでも本作は十分楽しめる。

大きな筋立てがあっての三部作と云うわけではないし、単体で楽しめるSFコメディに仕上がっている。
もはやVFXで何でもありな映像は作り込まれ過ぎでグロテスクではあるけれど、
こやって異形のものを想像する力は素直に大したものだと思う。


MIB-3
Photo by WILSON WEBB - (C) 2011 Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.


全編とおしてドタバタなコメディタッチではあるけれど、ちょっと泣かせる演出もありで一捻りしてある。
それこそフリークなら目の付け所も満載なのだろうけれど、そうでない自分が気がつかないのは致し方ない。
シリーズとおして都市伝説的な謎の真相とか個性の強い時の人が実は宇宙人で、と云う入れごとがお約束で、
今回もあの人やその人が実はこの星の人間ではないことにされていて、そう云うところがオマケ的になかなか楽しめる。

108分、頭を使わず楽しい時間であった。
IMAX3Dで観たが、普通のスクリーンで観ても大差はなかろう。
3Dを意識して作られたシーンも数箇所あったが、
作品としては多少チープと云うか貧弱な映像が却って似合うのではと思う節もあり。
二番館で他のB級SFと二本立てで観るなんて云うのにもお誂え向きな作品なのではないだろうか。
只今絶賛ロードショー中ではあるけれど、そんな気もする一本であった。
 
 

  1. 2012/06/18(月) 17:19:05|
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『 人形町らくだ亭 第四十二回 』 さん喬・一朝・新治・夏丸 於 日本橋公会堂(日本橋劇場) / 平成二四年六月一四日

手紙無筆 / 辰じん
茄子娘 / 夏丸
蛙茶番 / 一朝
大丸屋騒動 / 新治

仲入り

船徳 / さん喬


今回が第四十二回、会場で次回第四十三回の先行発売がある。
仕事が上手いこと片付いたので少し早めに事務所を出た。
茅場町の地下から出ると交差点が随分明るい。 今更ながら日が長くなったものだ。
まさか劇的に日が長くなった訳でもないのに、この時はそれを肌で実感したのだった。

小諸そばを目指す。 “ 揚げ茄子おろしそば ” の幟が立っているのが見える。
お、いいなと思って店前まで行くとその写真にはオクラが載っていた。
オクラかぁ・・・嫌いではないがこの時はネバネバな気分ではなかったので結局胡麻だれせいろにした。

会場に着くと当日券のカウンターと前売りのカウンターが設えてあった。
空席を見て気に入った席が無ければ止めておくつもりで前売りの列に加わる。
やがて席表が見えるところまで近づいた。 まぁまぁのエリアを売り出している。
更に近づいて、あの席が良いなと目をつけた所を前の人に買われてしまった。
仕方ないのでその一つ後ろにする。下手の川で右が通路際の良席、由としよう。

夏丸、初聴き。 芸協の二ツ目さん。 いま新宿に交替で出ているらしい。
芸協の末広は集客が芳しくなく色々と言われている。
“みなさんご存知のとおりで・・・”と卑下して、客寄せにタレントや作家など横好きを高座に上げているらしい。
それがいかんのだと思うのだが・・・根本的に遣り方がずれている気がする。
こうして夏丸のまくらから噺までの組み立てと遣り方を観るとなかなか良いのだ。
あぁ芸協の二ツ目さんもやるもんだなと感心する。
こう云う若手をどんどん高座に上げて、盛り上げて貰わなくてどうするのか。
若手もチャンスがあると思えば励みになるだろうに、外様を重用してその場凌ぎでは言わずもがなであろう。

根多出しの “ らくだ亭 ”。 今宵は一朝の 「 蛙茶番 」 がお目当てだった。
師の短気でおっちょこちょいの建半(建具屋の半次)が観たくて足を運んだようなものだ。
期待に違わぬ一朝の江戸っ子ぶりを堪能出来た。
最近贔屓の兼好が最初に門を叩いたのが一朝だったとか。 なるほどと思う節もある。
年齢的に落協に入れなかったようだが、惜しい話だ。

新治、上方の人。 基本聴かない上方落語、なのだがこれがなかなか良かったのだ。
サゲこそがっかりな噺だったが、鳴り物を効果的に使った演出(追記:ハメモノと云うらしい)と演技力の高さで、
村正を振り回す宗三郎の狂気を芝居っ気たっぷりに魅せてくれた。
会場の空気も取り込んで自分の世界に皆を引き込んだ一席は圧巻であった。
仲入り後にトリのさん喬が、冗談めかして新治さんでバラしてもよかった位だと言ったほどである。

確かにさん喬の 「 船徳 」 が少し霞んでしまった感は否めない。
お目当ての一朝は期待通りであったが、どちらかと言えば夏丸と新治の印象が強く残った “ らくだ亭 ” であった。
アウェイの席巻。 なかなか意外な結末である。(さん喬と一朝は五人いる らくだ亭 レギュラーの二人なので)

追い出しで新橋へ移動。 託ものがあってダイバーの溜まり場へ。
とある仲良し御一行が集まってオッサンのお誕生会をしていた。 ・・・やれやれ。
そこで思わぬ珍客と遭遇、久々の再会を喜ぶ。 カウンターの端に陣取り、暫し二人で映画談義に花を咲かせた。
こちらは小諸そばの一件と夏丸の 「 茄子娘 」 ですっかり茄子モードだ。
焼き茄子と岩牡蠣をつまみに瓶ビール一本。 珍客とは土曜の再会を約して程ほどで退散。 さて土曜が楽しみである。
 
 

  1. 2012/06/15(金) 16:56:09|
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第62回 板院展 於 東京都美術館

日本版画院主催の『 板院展 』 へ行って来た。
ダイビング繋がりの友人が出展しているのが縁で、昨年に続き足を運んだ。
昨年の会場は北千住だったが今回は上野の森。
もともとこちらがメインらしく、全面リニューアルの為に都美が休館だった去年までが異例だったようだ。

板院展は昭和27年に版画家 棟方志功の呼びかけで日本板画院が結成され、同年に第一回が開かれた。
今回はその草創期の作家たちの特別展示も初めて拝見した。

今年の作品の総点数がいくつあったのか・・・
同人・院友・一般と6頁に及ぶ展示目録を数える気にもならないが、
一頁二段組の一段に約40点の記載があったので400点以上ある計算だ。
当然一枚一枚じっくり観ていては時間が幾らあっても足りない訳で、
各展示スペースを回りながら直感的に目に留まった作品の前で足を止めるような観方になる。

今回は友人の作品を含めて27点の作品に目が留まった。
友人はダイバーだけに海を題材にした作品を手掛けることが多く、今回はイルカであった。
(彼女の版画は海のものしか拝見したことがない)
その彼女の作品は今回賞を頂いており、作品の脇に受賞の札が誇らしげに掛かっていた。
今回の制作に当たっては色々と苦労があったことを多少なりとも聞き及んでいたので、
受賞によってそれが報われた感があり、我がことのように嬉しい思いでその作品の前に立った。

彼女の作品の他に印象に残った26点を総括すると、
今年は自分の気分がそうであったのか、国内外を問わず風景を扱った作品が気に入った。
とても写実的で色も多彩な作品から まるで点描のような単色でシンプルなものまで、
大きさをを問わず見た目に分かり易く絵画的なものを素直に良いなと思った。


ban'in-62
作品は葉書になっている 友人のは何故か出展されてない方の作品だった・・・



友人をきっかけにここ二年、版画を鑑賞する機会が数回あった訳だが、
版画を前にいつも思うのは絵画とは異なる行程の厳格さだ。
基となる絵柄、作品によっては幾重にもなる版板の構築、刷りの厳密な合わせなど、
一枚の紙、或いはカンバスに向き合う絵画とは異なる技術の複雑さの魅力。
絵画も版画もやらない者が迂闊なことは言えないけれど、
絵にはない、まずそれが版画であることへの驚きは何度観ても色褪せない。
色々な意味で刺激的なひと時を味わえる版画鑑賞は、年に一度のお楽しみなのである。
出来ればその辺の解説を友人に聞きながら会場を回りたかったが、
実は彼女、現在は旦那さんの赴任先であるジャカルタにお住まいで日本に居ないのであった。
(今回の作品もそちらにて環境の整わない中での制作だった訳で・・・よく頑張りました)


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東京都美術館 エスプラナード(広場)より望む


先にも書いたが会場となった東京都美術館はこの春に全面リニューアルした。
前川國男設計による建築は個人的に好みに合う空間構成で居心地が好い。
リニューアル前に足を運んだのがいつだったか憶えていないほど昔のことで、
今回ただただキレイになった館内をおのぼりさん宜しく回った訳だが、
やはり美術館建築はビルの一角に間借りしているギャラリーにはない
圧倒的な空間の落ち着きに心穏やかになることを再確認したひと時でもあった。

たまには美術館。 出来れば人出の少ない平日の夕方あたり。 お勧めです。


  1. 2012/06/13(水) 12:28:46|
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『 人形町 噺し問屋 その31 』  兼好独演会  於 日本橋社会教育会館8階ホール / 平成二四年六月八日

転失気 / 昇也
たがや / 兼好

仲入り

音曲と漫談 / 東京ガールズ
竹の水仙 / 兼好


開演予定に5分ほど遅れて受付に到着、まだ太鼓が鳴っている。
何とか間に合った。 席について間もなく緞帳が上がるタイミングであった。
通例なら開口一番だから遅れても まぁ諦めもつくものだが、この会は最初に兼好の 「 ごあいさつ 」 がある。
スタンディングでのオープニングトークなのだが、これも面白く聞き逃すのは惜しい。
これに間に合ったのは良かった。 話題は先月の独演会お休みについて。

『 人形町 噺し問屋 』 は1・5・9月がお休みとなっている。
正月はのんびりしたいから稽古が足りないといけないので休む。
9月は学祭など引き合いが多いのでそちらに傾注する。
で、毎年5月は少し休み気分も味わいつつ仕事をするためにクルーズの仕事を入れていると。
大型客船に乗って都合二日で三席くらい高座に上がるが、
それ以外の時間はのんびり出来ると云う算段。
今年は小笠原に行ったとのこと。 定期便のおがさわら丸以外の観光船だろう。
GWも終わって島は客船の乗客以外の観光客もなく、海水浴には早くホエールウォッチングには遅くで、
何をして良いのやらと云った場所であったがノンビリは出来たと。
いやいや、結構遊べるし見所もあるのだが、そこは単なる物見遊山ではない師のこと、
恐らく下調べも不十分で島気分を満喫出来なかったのだろう。 島贔屓としては残念なことだ。
それでもスクーバに興味があるらしく、現地ガイドのショップへ顔を出して色々話を聞いたらしい。
来年には始めたいとのことだが、行く行くはそんな話もごあいさつやまくらで聞かれたら面白かろう。

一席目は落語や歌舞伎のかけ声の話から玉屋鍵屋へ振って 「たがや」。
大川の川開き、もう夏の噺がかかる季節だ。「 たがや 」 と分かって “ おっ ” と思う。
師の高座は過去にまだ20席しか聴いていないが、記憶ではその中に啖呵を切るものはなかった。
「 たがや 」 にはその たがやが侍に啖呵を切る件がある。 初めて兼好のを聴けるぞと。
期待の件、調子は高いがちょっと嗄れた師の声で凄まれるとなかなかの迫力。 なるほどこんな感じか。
こうなると 「 大工調べ 」 の棟梁・政五郎の啖呵なども聴いてみたいものだ。
噺は珍しく何度かくすぐりが入った。“うちの爺さんがそうだった”、“婆さんもそうだった”、“娘がおんなじ”と。
いちいち入れごとをしなくても師の話芸なら本筋だけで十分だと思うのだが、あれはどうした工夫だったのか。

二席目、「 竹の水仙 」。 それと分かるまで暫くかかった。
それほどに他の噺家とは運びのちがう 「 竹の水仙 」であった。
宿屋の主の情けなさはそのままであったが、女房の気の強さは控えめ。 あまり亭主を苛めないところがいい。
逆に甚五郎に褒められて気を良くするあたりの可愛らしさが微笑ましい。
甚五郎も今まで聴いた中では鯉昇の 「 ねずみ 」 と同じくらい穏やかで人の好い老人であった。
やはり噺に人柄が出ることもあると云うことか・・・いや別に兼好の人柄まで知っている訳ではないが、
この日の 「 竹の水仙 」 は兼好らしいなと云う印象の残る一席であった。

しおりに今後の予定が刷ってある。「 その34 」 まで予約済みだが、「35」の日取りが加わっている。
早速、翌日の朝に電話を入れようと手を伸ばすと手元の携帯の方が早く鳴る。 仕事の電話だ。
そちらの応対をしてから予約番号へかけると話中・・・2分ほど待って掛けなおすと繋がった。
いつも座っている席番を希望すると、たった今の電話で埋まってしまったと。
タイミングが悪かった、仕事の電話を恨む訳にも行くまいて。
他の席を当たりつつ、言葉を交わしているとちょっと耳寄りな情報が。
これは素直に希望席が取れていたらなかった会話。 何がどう転ぶか分からぬもの、なかなか良い気分で電話を切った。
これからも通うよ、兼好さん。
 
 
  1. 2012/06/10(日) 23:59:00|
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メランコリア - Melancholia - 於 早稲田松竹

新宿で展示会を観た足で高田馬場へ移動、早稲田松竹の最終上映回に800円で入館。
以前この函で予告編を観た 「 メランコリア 」 を鑑賞。

太陽の裏から突如現れ地球に接近してくる巨大な星 メランコリア。
地球の数十、数百倍もあるその星はフライバイの末 地球から遠ざかるのか、
それともその圧倒的な質量で衝突し地球を破壊してしまうのか。
科学者達は衝突を否定し、世間では地球の終焉がまことしやかに語られる。
果たして真実はどちらなのか・・・その結末は上空を覆うメランコリアと共に静かに近づいてくる。

フォン・トリアー監督はドイツのロマン主義芸術からの影響に言及したとの記述を読んだが、
ドイツロマン主義と云われてピンと来るほど美術史に明るくないのが残念。
もっと勉強しておけば良かった。 ・・・今からでも遅くはないか。

ワーグナーの 「 トリスタンとイゾルデ 」 が流れる中、耽美な映像が大画面に映し出される。
主人公のひとりである花嫁の姿はミレーの 「 オフィーリア 」 を連想させ、作中にもその絵画が登場する。
花婿が花嫁に贈った林檎の苗木が植えられた土地の写真は、
ルター或いはゲオルギウの終末に関する思索へのオマージュなのではと自分は捉えたけれど、
それは林檎と男女を使ってパラダイスロストを暗示させたかったのかも知れない。
いずれにしろ監督の意図するものはそうしたディテールに込められていたように思う。

天体衝突と云えば古くは 「 メテオ 」 から 「 ディープインパクト 」「 アルマゲドン 」 などが思い出されるが、
一様にして人類が自らの知恵と技術と勇気を持ってそれに対峙するストーリーに仕立てている。
それに対して本作はひとつの家族を通してのみ語られ、その長女が妻たる屋敷の中だけが舞台となっている。
地球滅亡と云う世間の騒擾からは隔離された大きな屋敷、広大な庭園。
その庭園から見上げる夜空には、恐らく湖であろう美しい水面の広がる眺望を前景に、
恐ろしくも美しい巨大なメランコリアが浮かんでいる。
その詩的な情景ひとつ取っても、今までにない切り口と視点で描かれていることに引き込まれるのだった。


Melancholia
(C)2011 Zentropa Entertainments ApS27


この物語を文章で表現するなら、ブラットベリの小説のような世界観ではないかと思う。
耽美で幻想的であり、読むものに豊かな心象世界を描かせてくれるような。
しかし実際に映像として見せられると、これほどまでに胸に重苦しくなるものかと驚きを禁じえなかった。
10万㎞/h で地球に接近してくる星メランコリアはあまりにも暴力的に大きく地球を圧倒していながら、
夜空を覆い尽くすその青さはあまりにも美しく魅力的なのだ。

プロローグではメランコリアが地球に衝突し一瞬にして火の玉に変えてしまう映像が流れる。
果たしてそれが単なるイメージなのか、(物語の中で)実際に起きる事実なのか、
ラストへ向け息を詰めて見守る緊張感は久々に覚える感覚であった。

ラストは伏せておくとしても、観終わって何が切なかったかと云えば、
地球がなくなってしまえばその終わりを誰ひとりとして記憶し語り伝えてはくれないと云うこと。
どんな悲劇であれ、この星の上での出来事であればそれを見守った人々により後世に語り継がれる。
けれどこの星ごと消え去ってしまうとなれば、事実も記憶も何もかもが無かった事になってしまう。
何も残らず消えてしまうと云う、
本当の意味での虚無感と喪失感を胸に見上げるメランコリアは、
それでも人々の目に美しいものとして映るのだろうか。
 
 
  1. 2012/06/06(水) 12:08:57|
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ミヒャエル・ポリツァ写真展 『 DISCOVERY 』 / 『 小笠原、未来へつなぐ自然展 』 於 コニカミノルタプラザ

新宿にある先様のオフィスで17時から打合せ。
打合せの後にどこかで “ 第二部 ” があるかも知れないので予定を入れずにおいたが、その場で解散。
そんな訳で、もしも何もなければ寄ろうと思っていた展示会へ行くことが出来た。

今まさに友人が小笠原へ行っている。 タイムリーな展示は写真とデジタルイラスト。


km1
HPより:ギャラリーはイメージ、実際はベンチソファが置かれてました。


写真展はイーゼルに薄型の液晶ディスプレイを載せてずらりと並べたユニークな方法。
小笠原諸島の様々な生き物と風景を種別にカテゴライズしてスライドショー形式で映し出す。
バックグラウンドサウンドは島の自然音、薄暗い空間に明るく浮かび上がる島の映像が目にも鮮やかだった。
暫しここが新宿のど真ん中であることを忘れる。
訪れたのが平日の18時とあって、来場者も少なくとても落ち着いた空間と時間を体験することが出来た。


km2
HPより:ギャラリーはイメージ、実際はベンチソファが置かれてました。


デジタルイラスト展はギャラリーの三面をいっぱいに使って、動くイラストが映写されている。
表現として動画より動くイラストの方がシックリ来る。 しかもただイラストが動き回っているだけではない。
サウンド・インタラクティブと称される仕掛けがあり、ギャラリーにおいてある楽器を鳴らすと映像が反応する。
海のイラストが映し出されている時には気泡が発生したり、珊瑚が踊ったり。
陸のイラストが映し出されている時には雨が降ったり、花の色が変化したり。
展示物と観る者がアクションを通じて呼応する、ちょっとしたアトラクションとなっているのだった。
何しろ入口を除く三面の壁いっぱいにイラストが映写されるので、鯨が登場するとその大きさは圧巻である。
これは大人が見てもオッと思わされる仕掛けだ。 体験しないとこの面白さは分からないかも知れない。


km3
写真展フライヤー


コニカミノルタプラザのギャラリーはABCの三つ。
小笠原展はBとC。 Aだけ別の写真展が開催されていた。
こちらはドイツ人写真家によるネイチャーフォト。 アフリカと北極圏を扱った作品が30点ほど。

作品群を観ながら感じたのはホッキョクグマについて。
この動物はどうも写真家による個性が出難い被写体なんじゃないかと。
これは自分の眼力不足なのかも知れないけれど、
ホッキョクグマの写真にはそれほど作風にヴァリエーションを感じないのだ。
言い方として躊躇われるところもあるのだが、誰が撮っても一緒。 と思ってしまうのが偽らざるところなのだ。

それは写真家たちの何かを否定すると云うのではなく、
地上最強の誉れ高いホッキョクグマと云う動物が、その存在そのものが究極だからなのではと云うこと。
何人の目を通して見ても揺るがぬ何かを纏い、或いは放っている。
彼等にはそんなオーラを感じるのだ。 ・・・オーラなんて安っぽい表現だけど。

どちらの展示もなかなか見応えあり。 18日までやっています。


さて、会場を後にして次は映画館に向かいます。
 
 

  1. 2012/06/05(火) 13:55:13|
  2. フォト・キネマ・アートとか
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裏切りのサーカス - TINKER TAILOR SOLDIER SPY - 於 新宿武蔵野館 2

ゲイリー・オールドマンを意識したのは 「 ダークナイト 」 が最初であった。
映画に詳しい友人から 「レオン」 の悪役刑事だと教えられ、様子の変わりように驚いたものだ。
そして他にも色々と観た映画に出演していることが分かり、
あまり俳優に詳しくない自分の中で、記憶に残る俳優のひとりとなって行った。

ネットで観た予告編と映画関連サイトでの評価がなかなか高かったこともあって足を運んだ。
武蔵野館の小さなスクリーンとは云え、客入りが良く混雑しているのは意外であった。

諜報推理ものとでも云おうか。 まだMI6とKGBがあった時代の物語。 とても渋い作品であった。

ストーリーはかなり複雑、映像演出も凝ったもので上質なサスペンスに仕上がっていた。
とは書いたものの、途中15分ほど眠気と戦い舟を漕いでしまった。
朝から慌しく用事を幾つか済ませた後、ふと思い立って足を運んだのだが、少々疲れが溜まっていたようだ。
それでもなんとか立ち直って観続けたのだが、途中の欠落の有り無しに関わらず理解は難しかったと思う。


TTSS
Jack English (C) 2010 StudioCanal SA


疑問点がポツポツと浮かんでは話の筋が追えなくなる。
何とか糸口を見つけて軌道修正を試みたが、筋の何割かは分からないまま終わってしまった。
それでも途中で犯人探し的な部分では素直な推理で該当者を当てることが出来たところからして、
妙なひねりやどんでん返しのない、正統派な筋立てだったとは思う。

後になってネタバレしているサイトを幾つか読んでみて、あぁそう云うことだったのかと。
正直なところ、もう一度観ないとその良さを満喫出来たとは云えない程度の理解度であった。
色々と分かった上で俯瞰の視線で全体を追えばまた更なる魅力に気づくであろう。
が、観たい映画が多々ある中、
この作品に再度足を運ぶような時間と鑑賞料の贅沢な使い方は自分には出来そうもない。
しかし興行側も心得たもので、その手の心理を突いてリピーター割引を実施しているのだから大したものだ。

久々に遣り込められた気分を味わった映画であった。 う~む、参りました。

付記:こいつは映画好きな小笠原の友人に観て欲しい一本だ。 彼の感想が聞いてみたい。


  1. 2012/06/04(月) 15:48:38|
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鈴本余一会 『第六回 古今亭菊之丞独演会』  於 鈴本演芸場 / 平成二四年五月三一日

真田小僧 / 半輔
鮑のし / 馬治
たちきり / 菊之丞

(仲入り)

ジャグリング / ストレート松浦
茶の湯 / 菊之丞


前売りの段階で席前が通路で広くなっている場所を選んだのだが、
入ってみるとその通路に折畳み椅子がズラリと並んでいた。 やられた。
満員御礼、詰め込んだ臨時席で足元は通常の席よりかえって狭いくらいだ。
これは次回からの席選びに憶えておかねば。
(あまりに狭いので仲入りで前席の御一行に声をかけて椅子を少し動かして貰った)

菊之丞独演は独特な雰囲気がある。 良く言えば賑やか、言い方を変えれば落ち着きがない。
団体さんが入っているようなザワついた感じ。 携帯が何度も鳴った会場は久々である。
菓子や弁当の袋もガサつく・・・まぁこれは定席の函らしいと云えなくもないが。

菊之丞は毎年外洋航路の客船での高座を持っている。
この日の余一会が終わると夜中の便で羽田を発ちあちこち経由してタヒチへ向かうとのこと。
高座には珍しく湯飲みが置いてある。 喉の調子が良くないのだろうか。
そうだとすると乾燥する空路の長旅が待っているのは少々気の毒だなと勝手に勘繰る。

いつからか菊之丞の落語が自分の中に入って来づらくなってしまった。
師が熱演すればするほど一歩さがってしまうと云えばいいか、ちょっと醒めた自分がいる。
そのことで聴く回数を減らしても、鈴本で余一会のある五月と十月の末日だけは通おうと決めている。
特段根拠はないのだが、師を観る聴くにつれ師がもっと歳を取って行くといい感じになるのではと云う予感がある。
五年ではどうか分からないが十年後十五年後に興味がある。
だからと云ってそれまで疎遠にしておこうとも思えず、その歳になるまでの過程も見続けて行きたい。
若手から中堅・ベテランとなって行く過程を目撃して行きたいと思うのである。

今回の 「たちきり」 についても、少し芝居が過剰に思えた。
噺に入り込み過ぎているように思うのだ。 菊之丞ひとりで空間が出来上がってしまっている。
師の体のまわりで世界が完結してしまっており、客席にその風が下りて来ないとでも云おうか。

これからも余一会には通うつもりだし、良い番組に師が入っていれば聴く機会もあるだろう。
聴く頻度は減ると思うが、長い目で見て菊之丞の老成の過程を目撃して行きたいと思う。

九時を十五分ほど回って追い出し。 指呼の間なので湯島の女将の処へ行ったが敢え無く門前払い。
混み合う中、知り合いの顔があっただけに残念であった。
その後の展開をあまり考えずに湯島駅に入ってしまったので選択肢が激減。
これも流れだろうと、寄り道せずに帰路についた。 このところ酒手が嵩んでいたのでこれも由か。


さて、月がかわって六月。落語通いは四年目に入る。
この三年間で足を運んだ落語会と寄席は合わせて173回、聴いた高座は 660席となった。
まだまだ未聴の噺は山ほどあり、聴いた噺家はほんのひとにぎりだ。
六月・七月と要予約な落語会をそこそこ入れてしまったが、
その後は大きめの会は控えて、小さな会場の会や定席寄席を中心にして行こうかと思っている。
落語通いが自分の中で日常化して、いつからか頻度が週イチを上回る月が続いている。
漸く最近になってネット予約のチケット争奪戦にすっかり踊らされていることに気づいた次第。
夏以降は少しペースを落として、ゆったりと楽しみたいところだが・・・その実はどうなりますことやら。
 
 
  1. 2012/06/01(金) 23:59:00|
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- りょうそく - と申します。
 
九山八海  花鳥風月
東奔西走  南船北馬
美酒嘉肴  羽化登仙
歌舞歓楽  一竿風月
謹厚慎重  天空海闊

そんな感じでまいります。

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