七人の敵

男、閾を跨げば七人の敵と数多なる素晴らしきものごとあり。 都会から山河海島まで、外出先での徒然を。

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『 雲助月極十番之内 肆番 』 雲助独演会  於 日本橋公会堂(日本橋劇場) / 平成二三年五月一六日

饅頭こわい / 明楽
千早振る / 雲助

(仲入り)

太神楽×手品 / 味千代・翼
中村仲蔵 / 雲助


先日行きつけの赤提灯で常連さんと落語の話になった。

その方は志ん生が好きで、また最近になって談志の魅力を再認識していると仰った。

彼から出た言葉に落語におけるインプロビゼーションと云うキーワードがあった。

“improvisation”、即興性。 彼はジャズの演奏に準えてその言葉を引用した。

落語においてそれは高座に臨場して閃く自己解釈みたいなものを指しているのかなと思った。
“くすぐり”とはちょっと違うニュアンスに聞こえた。

僕は落語を聴く際にそうした即興性、そしてくすぐりの部分も含めて抑制されている方を好む傾向がある。

残念ながら談志の実演を未だ体験したことがないのでそこには言及出来ないけれど、
例えば喬太郎や白酒の持つそれには魅力を感じるし面白いと思う反面、
古典を聴く時にはどこかで「きちんとやれば面白いように出来ている」ものと云う意識がある。
言い換えれば「きちんとやって面白くないのは噺家が面白くないから」と云う考え方。
そう云うふうに修練され作り上げられた、確固たるところに古典の生粋があるように思っている。

勿論、古典落語も時代に則して言葉やテンポは変化しながら今があるのだろう。
そこにスコアがある訳ではない。
正確なスコアがあるクラシックでさえタクトによって曲の表情は変化するのだから、
落語ともなれば噺家によって如何様にでも変化するのはクラシック以上のことだろう。

ライブの醍醐味はそうしたスコアに対する faithfulness(忠実性)と improvisation の鬩ぎ合いなのかも知れない。

ただ、先日の座談で志らくから語られたことに、
まずはきちんと出来なければ独自性なんてものには何の価値もないし、誰も聴いてはくれない。
と云うものがあった。
落語におけるジャズな部分は、
あるレベルまで達してから後に自然と湧き出て来るものでなければならないのだろう。

落語における即興性と忠実性、見方を変えてジャズな部分とクラシックな部分・・・
そう云う比較の楽しみ方もあるのかなと。
いつ聴いても安定感があり、それらふたつのことについてのバランスが巧妙な雲助を聴いて後、
改めてそんなことを思ったのだった。
  1. 2011/05/17(火) 17:50:16|
  2. 演芸など
  3. | コメント:0
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